独自性の追求と気仙大工の心意気

建物の恰好良さの基準は何処にあるのだろうか。既に評価の定着した木割をもって造れば画一的な建造物になってしまう。ひとの心は常に新しいもの、他人とは一味違った「個性あるもの」を追求する。封建時代の押し縮められた制約の中でさえ、外見は「隣並み」であっても軸組みの構造や内部の造作は同じものなど殆ど無い。職人の誇りがそれを許さないのだ。気仙大工の見どころは「独自性の追求」にある。そして何時の日にか良い仕事をさせてもらえる施主に巡り逢える日を夢見て鑿(のみ)を研ぎ、待つ。そしてついに巡り来た待望の仕事に出会ったとき、水を得た魚が躍動するように「あれもやりたい、この細工も生かしたい」と贅沢な悩み心を味わうこととなる。良材を得て意匠案を練り、墨付けして木を刻む楽しさは大工だけに与えられた特権。ここに匠の里ならでは見られない優れた作品が生まれる。
言葉を換えて言えば、日本各地の豊饒な時代の建築のサンプルが少しずつ具現化されているのが気仙匠の里なのである。その隠された秘技を住まう人が知ってか知らずか、ひたすら気仙の建造物は遊子の訪れを待っている。

床(とこ)の間

気仙大工の技と遊び心を開花させるスペースの一つ。天袋、地袋、違い棚付きの脇床は日本人の心象の原点とも言える。写真は陸前高田市横田町狩集の菅野家の床の間で、気仙大工のこだわりを強く感じさせられる美しさを持っている。

 

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