重厚な入母屋千鳥破風

浜伝いに進んで行くと、尾根が急激に海に落ち込むリアス式海岸である。豊かな恵の海も常に気まぐれで、しけ、台風、津波など片時の油断も許さない。荒々しく連なる白波の様を漁師達は「兎が跳ねる」という。気をつけて見ていると確かに兎に見えてくる。「波に兎」の着想はこれだったのだ。なるほど漁師の家の戸袋欄間に好んで彫られているわけだ。彼らの気性は重厚な「瓦葺きの入母屋、千鳥破風」を好む。かつてはモルタル瓦が全盛を極めたが、最近は陶器瓦に王座を譲った。赤瓦、黒瓦、果ては銀鼠色の大屋根で、「せがい造り、蓑甲返し(みのこうがえし)」となれば申し分がない。建築計画が「隣並み」の思想から「隣以上」の意欲に変わった時から、棟梁(とうりょう)たちの眠られぬ夜が続く。
奥四ケ浜(おくしかはま・三陸町)の民家には、しばしば「拳鼻(こぶしっぱな)」と呼ばれる唐草模様を彫刻した木鼻が取り付けてあるのを見ることができよう。これはかって堂宮(どうみや)造りに参加した「栄光の日々」への憧憬(しょうけい)なのである。

▲透彫欄間(波にうさぎ)

船がい(せがい)づくり

船がいは棚と同じ意味。軒を長く出すために出桁造りにするための工夫。船べりから梁を突き出す様式に似ていることから出た言葉。この地域では入母屋、蓑甲返し、せがいづくりが最高の造りと思われている。

 

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